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今年は阪神淡路大震災10年の年に当たります。早いもので、あの大震災から10年という月日が経ち、神戸の街並みは当時の面影を感じさせないほどに復興しました。今年は、大震災10年記念事業として、いろんなイベントが神戸から発信されています。そんな中で私にも何かできることはないかと考え、『将来世代育成プロジェクト〜ラグビー寺子屋』を企画しました。震災で体験した、「命の大切さ」「人とのつながり」「生きるという事」「感動」「感謝」「人との出会い」等を、私が愛したラグビーを通じて、将来を担う将来世代に対し伝えていければと思っています。
10年前の大震災は、神鋼ラグビー7連覇の直後で、東京で用事があり居残りしていた私は、実際に震災の揺れは体験していませんが、帰ってきた神戸の光景は目に焼き付いています。尼崎の会社遊休地で運営していたマウンティンバイクコースの自転車を借り、倒れた高速の横を通り、倒壊した家々の間を縫って神戸に帰りました。
岩屋にある神戸製鋼の本社は全壊、近辺は軒並み家が全壊し、特にひどい状態でした。倒壊した家に埋もれて瞬時に圧死した方々、生きていながら瓦礫をのけて助け出す事ができずに亡くなった方々、埋まっている所へ火が迫り「もう私は助からないから逃げてくれ」と家族を気遣いながら焼かれていった人達もいたようです。遺体安置所には、いつまでたっても誰も訪ねてこない身元不明の遺体や、亡くなった幼い子供に一晩中絵本を読み続ける人の姿もありました。
家族を亡くした方や、避難所生活を余儀なくされた方が多い中、私の家は潰れずにすみましたが、余震の続く中、ライフラインの無い生活が続きました。トイレを流すために近くの高校のプールで水をくみ、懐中電灯とロウソクで過ごしました。食料が全国から会社の復旧本部に届けられ、各地の避難所に配ってまわりました。
暫くして風呂屋がオープンした時は嬉しかったです。寒い中、一人出たら一人入れると、皆行列を作って順番を待ちました。風呂桶を持ちながら、不思議と回りの人たちと違和感無く話しをしました。
私は膝の手術の回復が思わしくなく、靭帯を止めたスクリューが緩んだため再手術を受けたところでした。神鋼のラグビーグラウンドは液状化でひび割れができ、暫くは瓦礫の置き場となっていました。私にとっては再起を賭けたシーズンだっただけに、電気のつかないクラブハウスでウエイトをし、瓦礫の回りを走ってはトレーニングをしました。大震災のあった1995年は、私の現役最後の年でもあり、特に強く印象に残っています。
実は先日ある先輩に、マイヒーローの話を聞かせてもらいました。少年の頃、とても内気で暗かった彼は、スキーに行った時、カッコ良いインストラクターに出会いました。「カッコ良くてモテモテで、あんまりカッコ良いからレッスンに指名した。親しくなって、その人にあこがれその人の真似してやってきた。その人との出会い、それが僕の転機だった。彼は僕のヒーローやねん。ヒーローに出会えた僕は幸せだったんや」。
その方との出会いが先輩にとって人生の転機であったのだそうです。親しい付き合いをしながらも、10年前に残念ながら若くして亡くなった。先輩は今でも命日に花を届けているのだそうです。
これがマイヒーローの話です。そう言えば少年の頃、私にもヒーローとの出逢いがありました。ラグビー少年だった私に、大きな夢を語ってくれて、お前はできるよと勇気付けてくれました。そんなきっかけで、本気で日本代表選手になろうと思い、憧れ、ラグビーを続けてきました。その人が与えてくれた夢が、私の原動力となっていました。私もまたヒーローに出会えた一人だったと思います。
今私は教育の仕事をしていますが、教育とは夢を語る事だと思っています。あるいは火をつける事とも言えるでしょう。人は火がつけば勝手に燃えるのです。火をつけるためにも私は燃えていたいと思います。ビジネス研修の世界では難しい事かもしれません。しかし心のしなやかな少年少女達を刺激してあげられたら、マイヒーローになれたら、それが将来世代にどれだけ大きな影響を及ぼす事でしょう。
私自身は本当に不完全な人間です。偉そうなことをいえた柄ではありません。でもそんな私でもひょっとしたら誰かのマイヒーローになれるかもわからない。まずは私の愛したラグビーの世界から始められたら……。将来的にはラグビーと震災の体験を、今テーマとして取り組んでいる感性教育、そしてスポーツ教育と言う分野に統合していければ、発展させていければ……と、『将来世代育成プロジェクト〜ラグビー寺子屋』にはそんな夢を託しています。 |
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